知的好奇心

波多野誼余夫・稲垣佳世子
中公新書−中央公論社
「楽しい経験としての学習」

われわれは、自分の知識が不十分であると知らされると何とかその空白を埋めようとする。 これはある程度の「緊張」をともなうものである。けれども、だからといって、「不快な緊張」を取り除く為にイヤイヤやっているという説明では、どうも合点がいかない。
PP.62

サルの探索が不快な緊張状態によって生じ、適切な解き方がこれを解消させることによって習得されていったのだ、という説明は、説得的ではない。むしろ、サルは好奇心にかられて、楽しくそれを探索しているうちに、解き方を自然におぼえたのだというべきだろう。
PP.64


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