音楽科教育研究法U
レポートより
(茨城大学教育学部音楽科3年生)

◆女子H・Nさん
 今回、貴重なお話を項き本当にありがとうございました。
「学校」には、どういう意味付けがなされているのか、というところで、「学」はもちろん「まなぶ」という意味付けがあるのですが、「校」が「カムガフ=考える」という意味があったことを初めて知ることが出来、とても勉強になりました。
 ただ勉強を学ぶ、習うだけでは、「学校」ではなくて、それでは「教習所」であるというお話の中で、なるほど、ただ学ぶだけでは「学校」とは言わないのだ、学校とは学び、考える場であると考えさせられ、先生のおっしゃった、「校」が「考える」という意味を含んでいることに改めて納得しました。
 生涯学習、生涯教育、についてですが、生涯学習とは、生涯に渡って、自分から学ぼうとして学ぶものであり、生涯教育とは、生涯を通して、学校教育だけじやなく、社会の中での教育もふくめたものを教わり、学ぶといういわゆる「受け身」の教育であると考え学びました。
今回先生のお話を聞いて、自分なりに考え、学んだことをこれからの学校生活に生かしていきたい思います。
本当にありがとうございました。

◆女子K・Oさん
 私は今、教育実習の真っ最中であります。仁田先生の話されたことを毎日思い出しています。子どもにとって、一つの発見が大きな喜びであり、学びであると思います。
 私はもうすでに国語と音楽の授業を行いました。思っていることがうまく伝わらず、沈黙を恐れ・・・といったさんざんな授業でした。先生の話してらっしゃる姿は、絶えず笑顔で、こちら側がとても暖かくなるものでした。そのことを思い出して、私は実践しているところであります。
 <略>
 『どんな小さな子どもの誇りも大切にする』『一流の○○になったかのような気分にさせる』『何よりも音楽を好きにさせる』『子ども一人ひとりが「やった!できた!」と思えるような授業にする』・・仁田先生のおっしゃったことを胸に、残りの実習をがんばりたいと思います。ありがとうございました。

◆女子O・Kさん
 今回のお話しを聴かせていただいて、生涯学習のための音楽の授業という視点が自分にとって新たな気づきとなりました。今まで授業などで指導案を書く機会がありましたが、その時自分は指導要領の目標に向かって懸命に授業を組み立てていたと思います。ずっと音楽を楽しんで学んでいけることを見据えた指導。これをするための授業を考えていくことを忘れないようにしたいと思いました。先生の教え子さんのように、幾つになっても楽しく音楽とかかわっていける方が少しでも増えることが、大きく教師の役目であるのかなと考えさせられました。
 <略>
 自分にも覚えがあり印象的だったお話しは、学習者の達成感を大切にすることで、「さも一流の○○になれた気分」を味わわせるということです。確かにこれができる課題は、みんなが楽しそうで、家でも家族相手に見せていたりしました。生涯学習の道に踏み込むきっかけだったかもしれません。
 仁田先生の終始受容的なお話しぶりとお人柄がとても印象的な講話でした。

◆男子K・Nさん
 本日の仁田先生の講話を聴きまして、教師を志す者としての心構えや、音楽の意義について考えることができました。
 <略>
 音楽科目は、生徒を音楽好きにすること、学校を卒業し、社会人となってもずっと音楽に興味・関心を持ち生活の一部として心も体も豊かになることができるようにすること、これが真の目的なのだと感じました。今回の仁田先生の講話を聴いたことで、教師をめざすための心構えを考えることができたと思います。そして、これから、そのためにやらなければならないこと、準備をして、さらに、自分に足りないものを発見し、スキルアップをしなければと痛感しました。
これが一番の収穫です。

◆女子S・Mさん
 今回仁田先生のお話を聞き、教師として子どもの前に立つ際に大切なことを考えさせら
れました。今回のようなお話は今までにも何度か聞いてきたと思いますが、周りで教育実
習を行いすでに終わった人も出てきた中で、今までとは違った受けとめをしました。
 まず“学校”という言葉の成り立ちの話は驚きました。これまでに“学習”という言葉
の成り立ちについては聞いたことがありましたが、“校”という字に考えるという意味が含まれているというのは初めて知りました。だからこそ学校という場は子どもが自分で考え学べるような環境を教師が整えておき、その中で子どもが自らの意思で物事を学び考えていくところなのだということを感じました。
 さらに教師にとって大変なことは「子どもをやる気にさせること」だということでした。
教師がやる気を持って授業を行えば子どもはついてきてくれるだろうというのは難しいの
かもしれない。いくら教師が熱意を持っていても子どもに授業に対する興味や関心がなけ
れば子どもはついてきてはくれないのだというお話は教師になろうとしている私にとって
は、自分が子どものやる気を引き出せるような教師になれるのかという不安を感じました。
今までに大学の授業の中でいくつか学習案を書く機会がありました。子どもが興味を持て
るような内容か、どんな支援をしたら子どもを目標に導けるかということを考えながら指
導案を作っていました。それらのことももちろん重要ではあるけれども、子どもを「やる
気」にさせるようなポイントを考えていたかというとそれは重視していなかったと思いま
す。それよりも教師のねらいに沿ったレールに子どもを乗せてしまう授業になっていたの
ではないかと考えるようになりました。
 私は9月に教育実習が控えているのでそれまでわずかですが、子どもが考えたり、感動
したりするときに同じ立場に立てるようになりたいので、まずは自分の感性を豊かにした
いと考えています。音楽は教科としてだけではなく生涯に亘って私たちの身近にあるもの
なのでその魅力を伝えること、そして子どもが「○○になったかのような気分」を感じて
もらえるような授業ができる教師になりたいと思いました。それから子どもと関わるとい
うことは頭だけで考えても分かることではないので、こどもと触れ合う機会を多く作りた
いと考えます。そこで子どもに対する話し方などを考え身に付けていきたいと思っていま
す。貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。

◆女子S・Kさん
 先日の仁田先生のお話は、大変おもしろく、勉強になりました。中でも先生が附属中の教員だった頃のお話しが一番印象に残っています。木琴の音に魅力を感じた、ひとりの女の子の話です。『音楽を学ぶ』とは本来そうあるべきことだと思いました。私は小学校から今までの間で、音楽の授業で、その女の子のように自ら学びとったことがあるかどうかわかりません。自ら『音楽』を学びとるように仕向ける授業とはどんなものなのだろうかと思いました。
 <略>
 先生のお話のされ方は穏やかで、聞き入ってしまいました。また機会があればお話しをしていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

◆女子S・Eさん
 この間は、とても内容の濃いお話しをありがとうございました。音楽教育の根本から現場で活かせるフレーズや教師の動きまで、気づいているようで気づいていない、かゆいところに手が届くようなお話しでした。
 仁田先生のお話の中で一番印象に残っている言葉は「演奏が上手になっても好きになれない音楽」です。まったくその通りだと思いました。音楽のよさとは、楽器や自分の声などの媒体を通して、自分自身を表現したり、ふしのよさを感じたりすることもひとつであると思います。しかし、現在の音楽教育は奏法ばかり教えていて、「味わう」まで達していないのではないかと思います。
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 子どもが「音楽が好きになったよ」と言えるような流れをつくれればいいなと思いました。十人十色の個性や感性を大事に、自発的に学び・考える、算数のように答えはひとつではないから、十人十色の学び・発見を支援したいです。

◆女子T・Hさん
 私は附属中学校で実習を終えました。自分自身の実習体験を振り返りながら先生のお話を聴きました。
 私は小中と塾に通っていましたが、学校の勉強はつまらないものではありませんでした。それはなぜなのか。ただ知識をつめこむだけではなく、どうしてそう考えたのか・感じたのかを一生懸命考えることが楽しかったからだと思います。学校では、「子どもに学んで欲しいことは子ども自身に気づかせる」ことが大切であると先生のお話にもありましたが、私も実習で同じことを学びました。
 では、いったいどうすれば子ども自身が主役になる授業ができるのだろうかと考えたときに、私は発問に苦労しました。特に鑑賞の授業で、どういうことを感じ取らせたらいいのか、私自身がはっきりしていなかったために、曖昧なものになってしまいました。教材研究をしっかりして、教師自身に音楽以外にもたくさんの分野の引き出しがないと、無学では子どもたちの持っている力を十分発揮できないと感じました。
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 先生のお話を聴き、また教育実習を通して、私は教師になりたいと強く思っています。 これからもがんばって勉強します。貴重なお話しをありがとうございました。

◆女子N・Aさん
 私はつい先日まで、実際に中学校で教育実習をしてきたばかりなので、私自身、今まさ
に教育に対する考え方が変わっている時期にあり、仁田先生のお話は、非常に今の自分に
とって理解しやすい話であったように思う。
 附属中学校という、自分の育ってきた公立中学校とは少し異質な雰囲気の学校で実習を
おこなってきたわけだが、その附属中だからというのは関係ないかもしれないが、仁田先
生もおっしやつていたように、現代というのは、“学校”よりも楽しいことやもの、学べる場などが、世の中にありすぎて、子どもたちは、学校にくることの楽しさや価値をあまり感じていないように思えた。私は小学生の頃から今に至るまで学校という場が大好きで、
だから教師を目指しているのであるが、今の子どもたちは、私のように「学校大好き」で
あるのだろうか。法律や環境はなかなか変えられないとは思うが、義務教育がある限り、
なんとしても、子どもたちを学校好きにさせなければならないのではないかと思う。そこ
で重要なのが、仁田先生のおっしやつた「やる気をおこさせる」ことなのだ。というのが
わかった。やる気、意欲をわかせることの大切さ、難しさというのは、実際に私は身を持
って体験したことのひとつである。
 また、音楽の教師にとって大切なこと、「子どもたちを音楽好きにさせること」という話は、附属中の先生にも聞いた話であり、私自身そう思っていた。しかし、言葉では簡単に表せても、子どもたちに「授業を受けたから音楽が好きになった」と、答えさせるのは、本当に耕しいと思う。教師という仕事は、採用試験にうかるのも難しいが、採用されたとしても、本当にものすごく難しい職業であると、自分が教育実習を行って、仁田先生のお話を聞いて、改めて思った。

◆男子N・Kさん
 仁田先生の話しを附属小学校への実習の前日であった私は,とってとても興味深く聞くことができた。まず,学校の意味について聞かれたとき正直わからなかった。主役はあくまでも学習者ということを,教師を目指している私はこれか先の人生で忘れない様にしたいと思った。
 授業を組み立てるにあったて,とても大切なポイントがいくつも先生の話しの中にあったと思う,子供の視点からどんなことに喜んだり,楽しんだりすることができるのか考えるであるとか,授業の組み立てが大切のであるように,現場を経験している仁田先生だからこそよけい私の心に響いたと思う。子供に伝わらない発間であるとか,当たり前の事であるがつい忘れがちなのかなと感じた。
 つい音楽の授業では,上手に演奏…となりがちであるが,先生の「下手も絵のうち」というお話しにすごく共感することができた。大学の授業を受けていると自分が完璧な演奏というものを目指しているので,つい子供にも完璧を求めてしまいがちになるが,大切なのは学習者である児童が精一杯力を出せればよいと私も考えた。教師が満足しても児童がわからないままでは全く意味がないからである。
 やれそうな気が大切という考え方に,教師がどう児童に教材を出会わせるかの技術,授業の組み立て方が大きく関わってくると考えた。そして,いっちょまえの気分,一流プレイヤーになった気分が大切という話しではまさに私自身が,そういう気持ちを体験していたので,まんまと先生の思惑に引っかかっていたのだなと笑ってしまった。けれども一番大切にしないといけない気持ちだと思い,常に頭に置いていたいと思った。
 授業は学習者が主体といいながら,そうではない教師の発問,これはいけないとわかっていても,つい授業の流れをスムーズに行うためにやってしまいがちな発問であるな,と思った。音楽教師であろうとなんであろうと,教育者(小・中・高の)は,常に真剣勝負なのだと改めて確認できた。

◆女子H・Yさん
 私は、小学校の教師になることを目指しているので、今日、仁多先生のお話が聞けて、とても嬉しかったです。私は、子どもたちにとにかく楽しく学んでほしいと考えています。
 苦手な科目があっても、解けない問題があっても楽しく過ごすことができたらいいな、思います。その際に必要なのは、やはり子どもに「やる気Jを持たせ、自ら「学びたいJという意欲を持てるようにすることだと思います。しかし、中学、高校での学級委員の経験、アルバイトの経験などから他の人に「やる気Jを持てるようにすることの難しいことに気付き、どうすればよいか悩んでいました。今回、先生のお話で「やれそうな気Jということを初めて聞きました。私は何事も子どもに押し付けるようなことはしたくないと考えているのですが、「やる気Jを持たせようということ自体が押し付けであるのではないか、と考えました。そこで、「子どもの誇りを大切にしてあげる」、「○○のような気分を味わわせてあげる」という先生の言葉が深く印象に残りました。
 <略>
 学びは、子どもが「自分自身を成長させるためにやるんだ」と思ってやることで、こう思ってもらうこと、つまり授業を始める前が教師にとって一番大切な仕事であるということに初めて気付かされました。それと同時に、教師のことば一つで、子どもたちの心は変わってしまうことを改めて感じました。
 最後に、仁多先生の話し方に感動しました。私は、とにかく大きい声で話せばいいと考えていたのですが、今日の先生を見てそれが間違っていることに気付かされました。先生は決して大きな声を出していないのに、いつの間にか話に引き込まれている自分が不思議でした。大きな声を張り上げれば伝わるのではなく、「伝えよう」という気持ちが大切なのだろうと思いました。見習わせていただきたいと思います。
 私はこれから附属小学校に教育実習にいきます。その中で、子どもをよく観察し実態を捉えるとともに、授業の進め方、子どもとの接し方などをも観察し、子どもに「誇り」と「やれそうな気」を持たせることができるよう教師になれるよう、日々努力していきたいと思います。

◆女子M・Nさん
 「附属中学校にいた先生がいらっしゃる」と聞いて、どんな人かな、きびしい感じの人かなといろいろなイメージを頭の中で描いていました。しかし、仁田先生の雰囲気は全く考えていませんでした。ふわっとした優しい声、語りかけ、笑顔。一瞬にして教室が仁田先生ワールドになった気がしました。先生の実際の授業はどんな感じだったのだろうか、どんな授業展開をしていたのだろうか、いつから先生はこのような雰囲気を醸し出しているのだろう、と思いました。
 教師の雰囲気というのは、子どもたちにとっても大きな影響を与えるのではないだろうか、と私は思います。中学生の頃、ある授業の前、「今日、先生の機嫌いいかな」とよくクラスメートと話していました。教師のそういった面を、生徒というのはすごくよく感じ取っていたと、自分を振り返ってみて思いました。
 子どもたちにとって、学べる場所をつくりあげていくのも、教師としてとても大切なことです。それを自分勝手な機嫌で、子どもたちに遠慮させたり、学ぶ場所を窮屈にするようなことは絶対にしてはならないと思います。子どもたちがよりよく学べるように、学ぶことに集中できる場所をつくっていくこと、子どもたちの抱く教師のイメージもまた大切であろうと思いました。
 <略>
 知識を覚えるだけが学校ではないので、教師は授業だけがすべてではありません。学べる場所づくりが大切であると思いました。

◆男子M・Sさん
 様々な情報が飛び交っている現代、児童の様子の変化も大きいのだろうと私は考えてい
ました。お話の中で「頑張る意味や大切さを知ってもらうことが重要になってくる」とあ
りましたが、現在ではテレビゲームが遊びのメインになっており、新たな遊びを自分で考
えたりすることも無くなっていることも大きいと思いました。その原因は、やはり科学技
術の進歩が大きく関係しているだろうと思います。このような状況の中で、上記のことを
教師がいかに教えるかということが今後の課題になってくると思いました。
 では、音楽科の授業の中でどのように教育していけばよいか考えてみました。先生がお
っしゃった中にあるように、「一流の○○になったかのように感じさせる」というアイディアは面白いと思いました。児童は難しいことをしないでも、教師の伴奏により楽しく演奏に取り組むことができることができれば、「楽しいな、また頑張ろう。」という気持ちにさせてくれると思います。私は小学生の頃からエレクトーンを習ってきましたが、現在のエレクトーンは、まさに音楽教育の中に使える楽器だと私は考えています。エレクトーンの機能には、リズム機能を始め、様々な音色を備えており、児童の伴奏に巧く利用すれば「一流の○○になったかのように」感じさせることができるのではないでしょうか。
 そして、私自身「授業は児童が学習する場」ということを再認識しなければならないと
実感しました。教師が児童に教えてしまったら、児童は「自分の力でできた」という認識
がなくなってしまいます。私は昨日から教育実習が始まり、児童との触れ合いが始まりま
した。生活科の授業で朝顔の観察を行っている部分で、「あさがおの葉っぱの様子はどうかな?」と質問したのですが、自分で答えを言ってしまいました。児童から言葉を引き出させるような発言に今後気を付けていきたいと反省しました。
 仁田先生のお話は、実習を前にした私にとっていいアドバイスになりました。アドバイ
スを参考に、残りの実習が良いものとなるように頑張って生きたいと思っています。

◆女子Y・Kさん
 仁田先生の持つ雰囲気は先生独自の独特のもので、私たちをいとも簡単に仁田先生の講話に集中させてくれました。先生は重要なところは少し抑え目に、面白く話したいところは少し声のトーンをあげて、お話なさっていました。実際、お話なさっていたときは気づきませんでしたが、田中先生が後からお話くださったときに、「そうか、だから話に自然と入れたのか」と気づきました。
 私は実際今、臼井先生が築き上げてくださった、管弦楽団に所属しております。100人を超える人前で話すこともしばしばです。そのときに仁田先生のお話のときの自分の気持ちを思い出します。食い入るように聞いていた自分です。
 100人を超える人たちにどうやってうまく伝えようと考えますが、私は最後まで同じトーンで話していました。緊張のせい、照れ隠し。いろいろ思いはあるのでしょうが、仁田先生のように話せるのは本当にすごいと思います。そして、なんといっても、笑顔。あの時ほど、癒された笑顔はここ最近ないように思います。先生は心底笑顔で、真正面から私たちと向き合っているのだと感じさせられる笑顔でした。
 教師が一方的に話す授業ではなく、私たちに投げかける授業だったと思います。教師がその権力性を自覚し,それをいかに用いるかで教室談話のありようが変化する可能性があるのだなと思いました。そして先生は自由発話を生かしていくために,私語の連鎖と化してしまわないこと,自由発話の話者が偏らないようにすることに留意していたように思いました。
 子供たちになにかさせようと語りかけるのではなく、やる気を引き出す方法を考えるということをおっしゃったとき、なるほど!と思いました。子どもたち自身に学ぶ力がなければ、学習したとは完全にはいえないのだと私は考えました。でも自分が子どものときがあったのにそういう子どものきもちを改めて考え直さなければならないのは非常に不思議です。それだけ子どもから大人へなるのには、いろいろな経験を経るとともにいろいろなことをかんがえているのだなと、改めて考え直すいい機会になりました。



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