「音楽と音楽の授業」    

つぎのような問いをたててみよう。「音楽的力量さえあれば音楽の授業はうまくいくか?」
音楽の授業をつくり実践するうえで、音楽的な力量は高ければ高いにこしたことはない。しかし、上の問いに対しては、私は80%の確率でノーだと答える。「すぐれた音楽家がすぐれた音楽教師だとはかぎらない」というよく耳にする経験則は、あながち間違いではないと思う。音楽的力量があればリサイタルはうまくいく。しかし、音楽の授業はそうもいかない。理由は簡単である。授業は個人の音楽活動そのものではないからである。子どもに音楽活動させる場が授業である。子どもが自立して音楽活動できるように援助したり何ごとかを教えるのが授業である。音楽にかかわって子どもたちと何ごとかをつくりあげていく場が授業である。「音楽」と「音楽の授業」は、まったくといっていいほどカテゴリーが違うのである。音楽の授業には独自の理論が存在している。だから、音楽的力量がいくら高くても授業がうまくいかない場合が多いのである。「音楽」と「音楽の授業」を混同する楽観主義から「音楽的力量があれば授業がうまくいく」という音楽科教育に伝統的ともいえる考え方が生まれる。


八木 正一
(埼玉大学教育学部助教授)
教育音楽別冊「授業のウデをあげる」
〓「指導のことば」を学ぼう〓
コミュニケーションの研究
1991.8.30
音楽之友社
PP.4


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