ニートについて考える
フリーターと呼ばれる若者が増加の一途だという。
しかし、フリーターは「働く意志」を持っている。定職に就かないだけの話なのだ。
近年は、その「働く意志」さえ持ち合わせない若者が増えつつあるのだそうだ。
ニート(Not In Education,Employment,Training)と呼ばれる若者たちである。
つまり、長期にわたって教育にも職業にも訓練にも属さない若者たちのことであり、そうした若者が先進諸国で急増しつつあるのだという。
日本では一方で、パラサイト・シングルという問題も指摘されて久しい。
パラサイト・シングルとは、もともと寄生虫を指す言葉が転じて「食客,居候」などの意味で使われる「パラサイト」に、独身を意味する「シン
グル」を付け加えたものである。これは未婚(シングル)の若者がいつまでも親に寄生していて,自立しない現象を指しているが、これは定職
についているか、無職であるかといったことと無関係である。
一流企業に勤めていたり,官庁づとめや大学の先生の中にだってパラサイト・シングルはいるかも知れないからし、実際いるであろう。
『パラサイト・シングル』と『フリーター』は定義が別であり、重なる部分と異なる部分があるのは当然のことである。フリーターだが親には寄生
していない人もいるであろう。
「フリーター」は約400万人だと言うが、問題はニートである。
考えるに、現代社会は定職に就かずとも、多くを望まなければそこそこ生活していけてしまう社会なのだ。
あくせくせずとも週に数日アルバイトで働けば、何とかなってしまう時代なのだ。それがフリーターを出現させ、増加させてきた最大の要因で
あろう。
加えて不景気だとは言いながらも親が子の面倒を見るだけの経済的なゆとりを持っているのである。
そうした環境がニートを出現させたのであろう。
あくせく働かず、親のすねをかじって生きていけるのは結構なことのようにも見えるが、親が子の面倒を見ていられるうちはそれで良い。
しかし、いずれ親も年をとる。
若者もいつまでも若くはない。
いつまでも親の傘の下で寄生していることなどできないのだ。
そうした働くことを知らない世代や自立できない世代が社会を担う時代が来たときにこの世界はどうなってしまうのか。
自立しようとする意志も働く意志も持ち合わせない若者の出現は、先進諸国の大きな問題の一つであり、日本でもその兆しが窺えるという。
親のもっとも大きな役目は、子どもを自立に向かわせることであろう。
自分の足で立って歩き、自分の力で自分の世界を切り拓き、自分を取り巻く社会の仕組みの中で他と協調しながら堂々と生きていこうとす
る子どもに育てるのが親の役目である。
そのためには、親としての厳しさを持つことも覚悟しなければならないのである。
子どもにとって辛いことを指摘することも、いずれ自分の手を離れたときに自力で立って歩けることを願うからなのだ。
自分の衣の袖で子どもをかばい、何でもしてやり、甘やかし、放任し、挙げ句の果てには、我が子は自分の所有物ででもあるかのような親
の振るまいが、そうしたニートの出現に拍車をかけているのではないかと思われてならないのである。
そうして育てられた自立できない人々が社会の主役になったとき、一番困るのは当人たちではないか。
当人たちのためにも、責任ある社会の一員としての自覚を持った「おとな」になれるよう親が「親になる努力」を惜しんではならないのでは
ないだろうか。
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