基礎に降りていく学び

   〜略〜
 そこで、目的的な行動の過程で、必要感をもって基礎・基本を学ぶという「
基礎に降りていく学び」を学校でも導入していくことが不可欠になってくる。また、それが可能な時代になったのである。
 インターネット等を使えば低いコストで情報が手にはいるが、それらを理解しょうとすれば、国語の力や、理科・社会の知識が必要になる。外国の子どもたちとのコミュニケーションは電子メール等で簡単に行えるようになったが、基礎的な英語力がなければ、伝えたいことも伝えられない。統計的なデータを分析するソフトウェアは充実してきたが、数学的な原理がわからなければ適切な使い方はできない。
 しかし、「やりたいこと」があって、その実現のために基礎・基本があるという学びの文脈ができれば、生徒たちは「ひとごと」でも「テストのためしかたなく」でも「はるか遠い将来のため」でもなく、実質的な意義を実感しながら学ぶことができる。
 教科の時間でも、「基礎に降りていく学び」がまったくできないわけではないし、そうした興味深い実践も見られる。しかし、従来の教科の時間では、やはり教科内容を系統的に教えていくことが中心とならざるをえない面があった。新教育課程で、自ら興味・関心をもったテーマを追究するという学習を保障する「総合的な学習の時間」が創設されたことは、非常に大きな意味がある。



「学力低下論争」
ちくま書房
2002.8 p.240
市川伸一
(東京大学教授)


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