先に「音楽の二面性」と題して、音楽には「ステージに向かう音楽」と「場の音楽」の二側面があるのではないか、と述べた。その中で、ステージ上で聴衆を前にして表現することを意識した音楽活動(ステージに向かう音楽)にどうしても目が向きがちだが、音楽の学習を構想する際には、無目的だからこそ夢中になれる、時間の経つのも忘れて音や音楽と戯れ遊んだり一体化できると思われる無目的な音楽活動(場の音楽)にももっと着目すべきではないかといったことを述べた。
 それは、誰かから強いられて行うのではない、一人ひとりが、主体的・自主的に行うところの「楽しい活動」と言ってよいであろうが、「楽しい」と言ってもその依って来たるところは人さまざまであろう。

 社会学者のチハイ・チクセントミハイは『Beyond Boredom and Anxiety』(『楽しみの社会学ー不安と倦怠を越えて』思想社)において「楽しさ」には次のような8つの場合と順位があることを明らかにしている。

 1 それを経験することや技能を用いることの楽しさ
 2 活動それ自体−活動の型、その行為、その活動が生み出す世界

 3 個人的技能の発達
 4 友情、交友
 5 競争、他者と自分との比較
 6 自己の理想の追求
 7 情緒的解放
 8 権威、尊敬、人気

 ミハイは、ロック・クライミング、作曲、モダン・ダンス、チェス、バスケットボールなどの分野で活動する人々172人を対象にして調査した結果、上のように分けられることを見いだしたのである。
 活動が楽しい理由の順位は上に列挙したようになるという。すなわち、「それを経験することや技能を用いることの楽しさ」が最上位の楽しさであり、続いて「活動それ自体」が2位にランクされている。ここで注目したいのは、その2項目が「個人の技能の発達」や「競争」などよりも上位にランク付けされているということである。さらに「権威、尊敬、人気」が最下位の楽しさとして位置づけられていることにも着目したい。

  ミハイは1と2は内発的理由、他の6つは外発的理由だと言っている。
  新井郁夫(上越教育大教授)の言葉を借りれば、1と2は「ある楽しさ」であり、それ以外は「持つ楽しさ」であるということになるが、どうやら現代社会は、金銭、権力、地位、名声、快楽の追求といった「持つ」文化によって支配されている感が強い。また、「他者と比較して優位に立つ」ということも現代社会では声高に言われないまでも欲求の対象としてあるように見受けられるが、これも「持つ文化」の象徴であろう。
 しかし、ミハイも指摘しているように、このような社会においても、これらの価値、すなわち「持つ文化」には目もくれず「ある楽しさ」を追求している人々、「ある楽しさ」を味わおうとする人々が存在するということは注目すべきであるし、「ある楽しさ」こそが人間の生き生きとした生き方を表出させる最も大きな要因だということの表れなのではないかとさえ思わされる。
 そう考えてみると、誰かに聴いてもらうためでもなく、またコンクール等でよい評価を得るためでもない音楽活動、音楽の「ある楽しさ」を精一杯楽しむことで音楽に直接触れ、向き合うことのできる「場の音楽」の持つ意味がさらに浮き彫りになると思われるのだ。


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