「学習」のない「教育」はありえない
安彦 忠彦
(名古屋大教授)
教育展望 
6月号 
'91
『児童・生徒の自立とカリキュラム』より
 
教育者は、「教育」を成立させるには子どもに「学習」活動をまず引き起こさねばならない。「教育」よりも「学習」の方が第一次的な活動なのである。このことの重要性を多くの人がもっと認識する必要がある。しかし、子どもは生来「学習」する。その「学習」を前提にして初めて「教育」という仕事が意味を持つ。だから、教育者は、子どもが「学習」活動をしなくなったとき、いかなる「教育」も行えないと悟らなければならない。したがって、教育者の第一の仕事は、そのときに子どもに「学習」をする気にさせることである。ところが、元来、子どもは「学習」活動をする。生物学的に、学習意欲も、学習能力も、ともに持って生まれてくる。人間の子どもの「学習」活動の活発さは、他の動物と比べても際だっている。
しかし、子どもはそれだけで何でも「学習」してしまう。非人間的で反社会的な行動まで学習してしまう。そこで求められてくるのが、子ども自身からさえ求められている「教育」なのである。それによって、子どもが生きていく社会に必要な知識、技能、価値、そしてそれを超え出る創造性などを身につけるのである。これが、通常言われる「一人前になること」である。とりわけ生涯学習時代に入った現代社会では、「一人前になる」こと以上を求める。あるいは、そもそも「教育」は、本来的に「一人前になるとは、その後は自分で自分を教育する力をつけること」と見てきた、と言ってよい。

    


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送